カテゴリー別アーカイブ: 心身楽道

本当は難しい効果的なストレッチ

ストレッチは健康法の一つとして人気があり、書店に行くと多くの本が並んでいます。

痛気持ちいいのを体によいと思って行っている人が多いようですが、やり方を間違えると健康に悪いということはあまり知られていません。

知人がヨガスタジオのインストラクターになったらヒザを痛めてしまいました。
周りのインストラクターも同様の理由で辞めてしまう方が多いそうです。
そのスタジオの研修で教えているという動きは理にかなっていないと思われるものがありました。

理にかなった動きとはどのような動きでしょうか?
基本的には関節本来の動きに従えばいいのですが、できていない人がほとんどです。

たとえば、膝を胸に近づけるという股関節の屈曲動作を例に取ると、膝をまっすぐ上に挙げる人が多いです。
これは関節本来の動きではなく、理にかなっていないため逆効果になります。

大腿骨頭は骨盤に対して斜めにはまっているため、膝をやや内側に向けて、かつ少し内捻りしながら屈曲するのが関節本来の動きになります。

また、力を抜くことでストレッチすると、より効果を上げられます。
たとえば、腕を伸ばすときは限界から更に力を入れるよりも、肘の力を抜いたほうが伸びることが分かると思います。
このとき身体の連動性が上がるので、心身楽道では「連動ストレッチ」と呼んでいます。

他人にストレッチする場合は、理にかなった身体操法でストレッチする必要があります。
ほとんどの人が体重移動を使っていますが、これは身体に緊張を生じさせるため、受け手も緊張させてしまいます。
術者自身の重心を下げることで操作する必要があります。
体重移動を使って施術する人が動画を見ると、術者が体重移動を使っていないため違和感を感じるかもしれません。

他人に連動ストレッチをする場合は、氣を使えないとできません。
武道でいう発勁の原理を使います。
具体的な技法は「健康法の極意4」で公開しています。

ここでは股関節の屈曲について、ストレッチのやり方による効果の違いを動画で示します。

次の3つのやり方を比較しています。

A.膝を真っ直ぐ挙げる
B.股関節本来の動きで挙げる
C.氣を使ってBを行う(連動ストレッチ)

これらについて以下の評価も行っています。
・ストレッチ後の脚の重さ
・ストレッチ後にももを挙げて力が入るか

Aのやり方だと、脚が重くなってしまいました。
関節本来の動きではないため、緊張が生じたため効果はマイナスになります。

Bのやり方だと脚が軽くなる効果はありましたが、ももを挙げて力が入るという効果はありませんでした。

Cのやり方だと膝を挙げるときに、限界を超えて動く感覚があります。
さらに脚が軽くなり、ももを挙げるときに力が入るようになりました。
これは身体の動きの連動性が上がった効果です。

見た目はあまり違いがないですが、微妙な角度や体の使い方の違いで効果が大幅に異なることがお分かりいただけたと思います。

効果のあるストレッチができる人はどれくらいいるのでしょうか?
ネットで股関節のストレッチを教えている人を見ると、私の見た限りでは膝をまっすぐ挙げるように説明している人がほとんどでした。
健康法のつもりで、体に悪いことを教えているのです。

他人にストレッチするセラピストも同様で、ほとんどの人が身体に悪いストレッチを行っています。

メルマガ第4回配信

メルマガの第4回が配信されました。
タイトルは会社の方がつけています。

今回は立ち方について基本的なことをお伝えしています。
立位で骨盤の左右差があると整体的には骨盤が歪んでいると見ますが、「身体バランスを意識できていなかった」と見ることもできます。

左右の足に同じだけ体重を乗せるようにしていただくだけで、矯正しなくても骨盤が整った状態になります。

Youtubeの動画はメルマガを取っていなくても見ることができます。

動画で広背筋の筋肉反射テストを行っていますが、この筋肉に力が入ったのは骨盤が整ったことを示します。

左右の足に同じだけ体重を乗せる、というのは当たり前の話ですが意識していない人が多いです。
逆に言うと意識できれば腰痛などの症状が出にくくなったり、改善が早くなったりします。
また、スポーツのパフォーマンスも改善します。

合気の目 視線で相手に氣を通し、力を抜く

以前の記事で、手から相手に氣を通して力を抜く技法について紹介しました。

視線を使って相手に氣を通して力を抜くこともできます。
視覚は触覚と似ているところがあり、じっと見られていると何かに触られたような感じがしたりします。

氣を通す技法を使うと、受け手の力が一時的に抜けます。
受け手が氣に敏感なら身体に何かを通された感覚が分かります。
氣を通す側にも氣が相手に通ると同時に自分の目に逆流してくるようなちょっと不思議な感覚が生じます。
このとき、軽い瞑想状態(ゾーン)に入るので、相手の動きが見えやすくなるという効果もあります。

この視線を使った技法については拙著「健康法の極意4」で施術に使える技法として公開しています。
武道に使う場合も原理は同じです。
心身楽道の癒やしの武道は暴力反対のため実戦には興味がありませんが、格闘技などの試合でうまく使えれば有利になります。

なお、心身楽堂では「合気」という言葉は氣を通すことによって相手の力を抜くことを指しています。
これは施術にも武道にも使うことができます。

合気を物理的な技として研究している方もいるようですが、ある程度は技が再現できても限界があると思われます。
また、施術には応用しにくいです。

集中セミナー開催しました

先週、7日間連続の集中セミナーを行いました。
生徒さんが将来的に整体などの施術を仕事にすることも考えていらっしゃるようでしたので、氣を使った施術もお伝えすることにしました。

時間が不足気味でしたが、一通りの施術をお伝えすることができました。
間隔を空けて来られるよりも続けて来られたほうが上達が速いです。

氣を使えると、物理的な施術に比べて施術効果も受け手の気持ちよさも大幅に向上させられます。
心身楽道は氣を使った施術をお伝えしている希少な教室です。

また、一度にお伝えするのは4人までと少人数制で行っております。
生徒さん全員に受けてもらうのと、生徒さんの施術を受けるには4人が限界だと思います。

講師が生徒の施術を受けないところはちゃんとしたアドバイスが受けられない可能性が高いです。
見ただけでアドバイスできればいいですが、そこまで見る目のある人はほとんどいません。

メルマガ第3回

メルマガ第3回が配信されました。
施術において非常に重要でありながら、具体的な説明が出来る人がほとんどいなかった「触れ方」について、基本でありながら極意的なところを公開しています。

今回から問い合わせフォームがつきました。
(メールの最後にリンクがついています)。
ご質問などお気軽に送ってください。

メルマガ第2回

治療院マーケティング

メルマガの第2回が配信されました。
通常は午前に配信されますが、サーバーのエラーで午後になったようです。
バックナンバーのサイトは近日完成予定で質問フォームも設ける予定だそうです。

今回は気は体感できるというテーマです。
簡単な遠隔施術(触れない施術)の原理の説明にもなっています。

遠隔施術は不思議に見えますが、原理はすごくシンプルで誰でもできます。
動画ではスタッフさんに触れずに改善させています。
触れたほうが効果が高いので私自身はほとんど触れない施術はやりません。

昨日、次回以降の分の動画撮影に治療院マーケティング研究所(写真)に行ってきました。
いろいろな治療家の手技を見てきたスタッフさんが、触るだけとか触れなくても手技と同じかそれ以上の変化が出ると驚いていました。
カメラの前で話すのは慣れそうにありません。

Q&A:気・ヒーリングと量子力学

受講生の方から「気やヒーリングと量子力学とは関係あるんですか?」というご質問をいただきました。
「量子力学でヒーリングが説明できる」という説があるようです。

量子力学は電子の存在確率を波動関数で表すという物理学で、普通に考えるとヒーリングとは関係ありません。

では、なぜ量子力学でヒーリングが説明できるという説があるのでしょうか?

量子の世界では電子が波の性質を持つなど、古典物理では説明できない現象が観察されます。
ヒーリングを量子力学で説明している人は以下のように量子世界の現象を意識の世界に比喩的に当てはめているようです。

「電子は観察するまでは状態が決まっていない」
→「現実は意志が決定するまで決まらない」

要は「思考は現実化する」ということを科学的に説明した(つもり)ということのようです。

したがって、「ヒーリングは量子力学で説明できる」というのは無理があり、「ヒーリングは量子力学から類推した原理で説明できる(かもしれない)」というところだと思います。

量子力学の基本が知りたいという方はYoutubeにある「量子力学入門①(量子の特徴)」がおすすめです。

15分ごろから注意点を述べているので、そこだけでも見ていただきたいと思います。
・量子力学はデバイス設計などの道具として使われている、ある種完成された学問である。
 神秘的な学問として見るのはよくない。
・不確定性原理などを人体などマクロなものに当てはめて言葉を乱用するのは良くない。
 実際にそれで人を騙そうとする人がたくさん存在する(!)

また、コメント欄で講師さんが「意識を物理的に研究できるのか」という問いに答えています。
(以下引用)


現在の物理学は人間の「意識」について言及できるほどの力は全くありません。
そのことは量子力学や統計力学を正当に学んでいく過程で自ずと理解していただけるかと思います。

もちろん、人間の意識等も究極的には物理法則によって支配されているのでしょうが、そこに辿りつくまでの道具が圧倒的に足りないのです。
よって、通常は研究対象になり得ません。


前半についてはまさにそのとおりです。
後半については講師さんと意見が分かれるところで、意識と物理法則は別次元のものです。

「気(ヒーリング)は物理的な現象だ」と思うだけで癒やしの気は引っ込んでしまいます。
潜在意識のレベルで気は物理的な現象ではないことを知っており、それと反することを思うと癒やしの気は引っ込んでしまいます。

気を物理的なものだと説明するということは気を貶めることになります。
「気は怪しいと思われるから、物理的に説明したほうが受け手が納得しやすい」という方もいるようですが、術者・受け手がお互いにそう思った時点で効果が落ちてしまうのです。
それ以前に気をちゃんと使える術者が非常に少ないのですが。

飛脚とナンバ

飛脚本常連のYさんが「山本一力氏の小説に飛脚がナンバ走りした描写がある」とわざわざ教えてくださいました。
ありがとうございます。

チラッと見せてもらっただけでうろ覚えですが、手と同じ側の脚を前に出すことで歩幅が稼げる、ということを書いています。

面白いのは俳優の児玉清さん(故人)が解説で「やってみたけど難しかった」というようなことを書いていました。

これは明らかに甲野善紀さんのナンバ歩きの説に影響されています。

拙著「ヒーリング・ウォーキング」でも書きましたが、甲野さん以前にナンバについて研究していた武智鉄二さんは「手と同じ側の脚を前に出すのは一歩ごとに方向転換するので効率が悪い、当時の農民は手を振らずに歩いていた」という趣旨のことを述べています。

甲野さんはなぜか武智さん以前の、脚と同側の手を振るというナンバに戻してしまいました。
甲野さんはテレビに出演するなど知名度が高かったため、このナンバが一時ブームになりました。

その後、このナンバはおかしいということで「本当のナンバ」を提唱する人たちが現れました。
正直言って、甲野さんのナンバよりもさらに不合理な歩き方です。

なぜこんなことになってしまったかというと、「手を振らない」とか「脚と同側の手を振る」という外見上の特徴に合わせて歩き方を考えたからではないかと思います。

ヒーリング・ウォーキングでは本来の姿勢、本来の関節の動き方などを身体感覚をベースに追求することで、結果として手を振らない歩き方にたどり着きました。
手を振らない歩き方を提唱している人も何人かいますが、そのいずれとも異なります。

整体の施術もこれに似たところがあります。
歪んで見えるから骨を動かそうという矯正よりも、身体が欲している刺激を与えることで結果として矯正されたようになる施術のほうが身体に優しく、効果も出ます。

当院では「癒やしの気」を身体に満たすという稀少な施術を行っています。
骨盤矯正をしなくても骨盤がそろうので最近は矯正は行っていません。

治療家向けメルマガ開始予定

(株)治療院マーケティングの気・エネルギー治療専門のメルマガを担当することになりました。
登録すると無料動画をもらえますので是非どうぞ。
メルマガ紹介ページ(外部サイト)
(無料動画は岩城先生のセミナーです)。

わかりやすく、お役に立てるような情報を発信していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
治療家向けに限らず、氣やエネルギー治療に関しては的外れな記事を見かけますが、「体感しうるものだけが事実」という基準を持っていればニセ情報に振り回されずにすみます。
このブログもそうですが、体感しうることしか書きません。

写真に癒やしの氣を込める

写真に関して「立体感がある」とか「生きた写真」などの表現が使われることがあります。
どうすれば立体感のある写真を撮ることができるでしょうか?

以前、「瞑想状態で写真を撮ると立体的に見える」ということを教えてもらいました。
瞑想というと座って目を閉じて行うのを思い浮かべますが、立って目を開けていても視覚や身体感覚に集中していると瞑想状態に入れます。
瞑想状態で撮影しても、見る側も瞑想状態で見ないとあまり立体感は感じられません。

瞑想状態から一歩進めて、癒やしの氣が出ている状態で撮影すると、写真にも癒やしの氣がこもることが分かりました。
これも氣の感覚が無いと違いがはっきりしません。
動画にしてみましたが、違いが分かるでしょうか?

カメラのサイトを見ていたら「撮影の極意は対象に愛情を持つこと」という言葉がありました。
癒やしの氣を出すというのも祈りが前提としてあります。

画家ゴッホは以下のような言葉を残しています。
I put my heart and my soul into my work, and have lost my mind in the process.
(私は,自分の作品に心と魂を込めた。制作過程では思考は失われていた。)

絵画にも理論があると思いますが、心を打つ作品というのは没頭した状態で作られるもののようです。